トップページ  日本トイザらス株式会社  沿革

沿革

日本トイザらス 沿革

  • 1989年11月
    米国トイザらス社と日本マクドナルド社の合弁により
    日本トイザらス株式会社設立
  • 1991年12月
    国内第1号店となる「トイザらス 荒川沖店」オープン
  • 1992年1月
    国内2号店となる「トイザらス 橿原店」オープン
    米国のブッシュ大統領(当時)が来店
  • 3月
    初の単独店舗となる「トイザらス 相模原店」オープン
  • 12月
    「トイザらス 相模原店」が、全世界のトイザらス店舗の中で、1日および年間の売上最高記録を樹立
  • 1993年
    当期10店舗出店で全国展開が加速
    「2000年100店舗達成」に向け年2桁出店へ
  • 1996年10月
    国内50店舗目となる「トイザらス 厚木店」オープン
  • 1998年6月
    千葉県市川市に「市川物流センター」を開設
  • 2000年4月
    株式のジャスダック上場
  • 11月
    国内100号店となる「トイザらス としまえん店」オープン
  • 2001年3月
    西日本地域の物流拠点として、「神戸物流センター」を開設
  • 12月
    第1号店オープンから10周年
  • 2002年12月
    「ベビーザらス」国内1号店となる「ベビーザらス 新浦安店」オープン
  • 2004年10月
    国内150店舗目となる「ベビーザらス 町田多摩境店」オープン
  • 2006年4月
    インターネットショッピングサイトを運営する
    トイザらス・ドット・コム ジャパン株式会社を吸収合併
  • 12月
    第1号店オープンから15周年
  • 2007年4月
    トイザらスとベビーザらスの併設型店舗を国内初展開
    「トイザらス・ベビーザらス 岡崎店」オープン
  • 10月
    新ロゴマーク、新ジェフリーに刷新
  • 2008年
    併設型店舗を出店戦略の核と位置づけ、年間10店舗ペースの積極的な展開を開始
  • 2010年4月
    米国トイザらス・インクの100%子会社化
  • 2011年12月
    第1号店オープンから20周年を迎える
  • 2012年10月
    「トイザらス・ベビーザらス 公式アプリ」提供開始
  • 2014年7月
    「トイザらス・ベビーザらス オンラインストア」を大幅リニューアル
    実店舗とオンラインストアのシームレス化を加速
  • 2016年11月
    トイザらスの小型店舗を初出店
    「トイザらス 札幌平岡店」「トイザらス ひたちなか店」同時オープン
  • 12月
    第1号店オープンから25周年
  • 2017年4月
    トイザらス・アジア・リミテッドのグループに加入
  • 2018年8月
    ベビーザらス初の小型店舗「ベビーザらス 錦糸町店」オープン

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米国トイザらスの歩み

創業初期

1948年、25歳のチャールズ・ラザラス氏は、戦後のベビーブームを受け、米国ワシントンD.C.に子ども用家具店「Children’s Bargain Town」をオープンしました。当時、店の経営はラザラス氏が一人で行なっており、帳簿の管理から商品の配達まであらゆる業務を自ら行なっていました。

お客様にさらに満足していただくための新たな方法を常に模索していたラザラス氏は、ベビーベッドなどの家具に加えて、ベビー用品や子ども向けに玩具を取り扱うようになりました。最初の玩具商品であるベビージムの売れ行きが好調であったことから、三輪車、書籍、玩具を次々と導入し商品の品揃えを拡大していきました。ラザラス氏は、家具と違い玩具には破損や流行があることに着目し、玩具を販売することでお客様の再来店が見込めることを早い段階から理解していました。

約10年後、ラザラス氏はスーパーマーケット型の販売モデルを導入し、お客様が自ら商品を見て選びレジで支払いをするというスタイルを確立させました。2号店のオープンに合わせ、ラザラス氏は店名を「Toys“R”Us」(トイザらス)と改め、ロゴのRの文字を左右逆に表記しました。小さなお子様を持つご両親や教員の方より文法上不適切との批判があったものの、ラザラス氏は、人々の関心を引く素晴らしい名前であると確信していました。

ラザラス氏は、誕生日プレゼントを求めにやってくるご両親や、お小遣いで玩具を買おうとやってくる子ども達といった人々の日常の買い物に焦点を当てることこそが成功の鍵であると信じていました。ショッピングモールやディスカウントストアがまだ存在していなかった当時、ラザラス氏は、専門分野に特化し割引価格で商品を提供するという画期的なコンセプトに着目し、成功を収めました。こうしたラザラス氏の創意工夫によってビジネスは順調に拡大し、トイザらスは玩具の複合企業に成長しました。1978年、トイザらスは公開会社となりました。

1960年2月には公式キャラクターのキリンの「ジェフリー」が登場したほか、キャッチ―なメロディが印象的な「I Don’t Want to Grow Up, I’m a Toys“R”Us Kid」(大人になんてなりたくない、僕らはトイザらスキッズ)と歌うCMソングも話題となりました。こうして、トイザらスは世界中で最も広く知られ、愛されるブランドの1つへと成長していきました。

市場の拡大

1980年代初頭にかけて、トイザらスは商品の幅をさらに広げるため、お客様を惹きつける新たなきっかけを検討していました。そして1983年、トイザらスは子ども服の事業に進出し、米国ニュージャージーとニューヨークに初の子ども服専門店「Kids“R”Us」(キッザらス)をオープンしました。2003年にキッザらス店舗は全て閉店したものの、子ども服の事業は存続し、1996年には米国内のほぼ全てのトイザらス店舗にて子ども服の展開を開始しました。また、同年には、米国ニューヨークに初のベビー用品専門店「Babies“R”Us」(ベビーザらス)をオープンしました。現在、ベビーザらスは米国内に230店舗以上を展開し、同国を代表するベビー用品店に成長しました。

1984年、トイザらスは、初の海外拠点としてカナダに直営店舗を、そしてシンガポールにライセンス店舗をオープンしました。1991年には日本第1号店をオープンし、続く2号店のオープニングセレモニーでは、当時の米国大統領ジョージ・ブッシュ氏がリボンカットを行ないました。現在、トイザらスは、海外において、オーストラリア、カナダ、フランス、ドイツ、ポルトガル、スペイン、イギリスをはじめとする38の国と地域で直営店を750店舗以上、ライセンス店舗を250店舗以上展開しています。また、中国や東南アジアを中心に継続して海外事業の拡大を推進しています。

2011年、トイザらス・インクは、東南アジアおよび大中華圏における事業拡大に向けてリー&ファン・リテーリングと合弁契約を締結し、それまで行なっていたライセンス事業の株式の過半数を取得しました。合弁契約の締結により、トイザらス・インクは、ブルネイ、中国、香港、マレーシア、シンガポール、台湾、タイにある既存90店舗の所有権および統括権を取得しました。

ビジネスの発展

2005年7月、ベインキャピタル・パートナーズ、コールスバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)、ボルネード・リアルティ・トラストの3社による投資会社グループがトイザらス・インクを66億ドルで買収し、トイザらスは非公開企業となりました。

以降、トイザらス・インクは、玩具業界を牽引する主導的立場を一層強化するとともに、今日のお客様のニーズに応えるべく発展を続けています。近年の主な取り組みは以下の通りです。

  • オリジナルブランドの発展:2009年、トイザらスは、育児用品のオリジナルラインの展開を開始しました。信頼ある「Babies”R”Us」のブランド名で展開されているこのオリジナルラインは、特徴ある紫と白のブランドロゴがあしらわれ、ご両親やプレゼントをお探しの方に幅広い品揃えとお求めやすい価格でオリジナルの育児用品をご提供しています。
  • 「トイザらス エクスプレス」:クリスマスシーズンのお買い物でご多忙なご両親をサポートするため、2009年より期間限定のポップアップストア「トイザらス エクスプレス」をショッピングセンターや大型専門店に出店しています。
  • 「オムニチャネル」の推進:実店舗とオンラインでのシームレスなショッピング体験をご提供し、お客様に時間、場所、方法を問わずトイザらスおよびベビーザらスのお買い物をお楽しみいただくため継続的な取り組みを行なっています。

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公式キャラクター「ジェフリー」の歴史

トイザらスの公式キャラクターであるキリンの「ジェフリー」は、トイザらスの前身である「Children’s Bargain Town」のキャラクターとして、「Dr. G. Raffe」の名前で、1950年代に初めて紙面広告に登場しました。Dr. G. Raffeの「Toys are us!(おもちゃなら私たち!)」という有名なセリフは、当社の未来を切り開く礎となりました。

1960年代に、当社はChildren’s Bargain Townから「トイザらス」に社名を変更し、それに伴い、Dr. G. Raffeは新たに「ジェフリー」としてトイザらスの公式キャラクターとなりました。以降、キリンのジェフリーは、トイザらスファミリーの一員として、長きにわたり人々に愛され続けています。

トイザらスの成長とともに、この50年でジェフリーも大きく変化してきました。時代とともにデザインは変わりましたが、当社のブランドを象徴する普遍的なアイコンであるとともに、楽しいことが大好きなお友達して、世代を問わず全ての子どもたちに親しまれてきました。

ジェフリーの変遷

  • 1965

    「Children’s Bargain Town」から「トイザらス」への社名変更に伴い、「Dr. G. Raffe」のオリジナルデザインを制作したデザイナーによって、よりリアリティ性の高いデザインが考案され、ある店舗スタッフにより「ジェフリー」と正式に名付けられました。1968年にかけてジェフリーの人気は急上昇し、イベントにたびたび登場するようになりました。また、店舗ではジェフリーをテーマにした商品のシリーズも販売されました。1973年には、ジェフリーは全米中で有名となり、トイザらス初のTVコマーシャルにも登場するようになりました。

  • 1975

    トイザらスの成長とともに、ジェフリーの家族も増えました。ジェフリーの妻のジジ、息子のジュニア、娘のベビージーもトイザらスのキャラクターに加わりました。各キャラクターにはそれぞれ役割があり、ジジとジュニアはトイセールの広告に週に一度掲載される漫画に登場し、ベビージーはベビー用品の広告に登場するなど、ジェフリーと同じように家族も大活躍しました。

  • 1985

    ジェフリーの家族の人気を受け、1980年代にはジェフリーの家族も店舗やパレード、イベントにジェフリーとともに登場するようになりました。また、広告には家族全員が揃って登場し、米国ニューイングランド地方の灯台に住み、ポテトチップスを燃料にして走る「Geoffreymobile」と名付けられたダブルデッカーバスを運転する様子が描かれました。

  • 1999

    1990年代にジェフリーは大きな変化を遂げました。基本に立ち返り、ジェフリーは、トイザらスの真のお客様である子どもたちを象徴する陽気な子どもの姿に変化しました。また、新たに制作されたジェフリーのデザインにより、当社のブランドのマーケティングにおけるジェフリーの役割が明確となりました。ジェフリーは、以前のような広告塔としての役割ではなく、FUN(楽しいこと)を象徴するマスコットとしての役割を果たすようになりました。

  • 2001

    2001年に米国NYのタイムズスクエアにトイザらスの旗艦店がオープンしたことに合わせて、ジェフリーは、これまでのイラストデザインから実物のキリンを模したデザインに変更されました。この変更により、ジェフリーは話すことが可能となり、アニマトロニクス版の声は、俳優トム・ハンクス氏の実弟であるジム・ハンクス氏が務めました。2002年には、話すジェフリーのアイデアを活用したトイザらスのTVコマーシャルが、雑誌「Advertising Age」の「Top Spot of the Year」を受賞しました。

  • 2007

    2007年、ジェフリーのデザインおよびトイザらスのロゴデザインが再び変更されました。ジェフリーには、以前のようなイラスト調のデザインが採用され、体の模様は、トイザらスブランドの魔法と不思議を表す星で描かれました。今日に至るまで、キリンのジェフリーは、トイザらスの公式キャラクターとして、決して年を取ることのない楽しいことが大好きな陽気な子どもの姿で人々に親しまれています。2010年には、AOLのWalletPopによる「Top 25 Mascots of All Time」ランキングでジェフリーが10位に選出されました。

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